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Presented by 堂堕自動車

闘わない車
Eunos Roadster

 

NA ここでは、Eunos Roadster(以下Roadster)に足掛け6年付き合ってきた自分の尺度で、Roadsterってどんな車なんだろうということを考えてみた。これからRoadsterに乗ってみたいと考えておられる方の参考になれば幸いである。

 まず、いきなりだがRoadsterは遅い。誰が何と言っても遅い。下手をすると、そこらへんのファミリーカーに負けちゃうほど遅い。速くないと楽しくないかというと、ぜんぜんそんなことはないのだが、世の中の風潮として速いのはエライってことになっている。いまでこそ環境だなんだと世間の目が煩いので、FerrariやLamborghini、Porscheといったスポーツカーブランドでさえ、最高速を声高に叫びはしなくなったけれど、速い=エライの図式は一般的だ。もし、あなたがいわゆるスーパーカーのオーナーなら高速道路のサービスエリアで「にいちゃん、この車何キロでる?」というセリフは耳タコ状態だろう。あなたはまんざらでもない様子で「メーカーは300km/hって言ってますけどね」なんて答えるわけだ。そして、双方とも自己認識が肯定されることで安心するという好ましい関係が成り立つ……

 そうなるとRoadsterの「遅い」というのは、ひとつの魅力を放棄したことになる。ほんとうにそうなのだろうか?
 絶対的な速さというのは、実はジレンマなのだ。速ければ速いほど、その車はひとつの魅力が増す。が、ライバルが一歩抜きん出てしまえば、その輝きは一気に色あせる。速さに魅力を持つ車の危うさは、この点に集約される。つまり、速いクルマは明日にはもっと速い車が出てくるという恐怖と常に戦い続けなくてはならないということだ。20年前のPorsche 911がいくら速かったと言っても、現在の水準で見れば平凡なスポーツクーペに過ぎないという残酷な現実がある(これはこれで、すごいことだが)。
 そして、この恐怖感はオーナーにまで伝染する。速いという魅力だけで立脚している車が速さを失うと、後には何も残らないということをオーナー自身が薄々感じてしまうからだ。こうなると車に乗っている間、四六時中臨戦態勢で神経を張り詰めていることになりかねない。これはあまりに面白くない。車の楽しみを感じるのは自分自身なのに、常に他者から影響され続けるというのは辛い。

 Roadsterは、こういった恐怖とは無縁だ。なにしろハイパワーなファミリーカーにも劣るような動力性能しか持っていないのだから、オーナー以外の車好きもRoadsterを目の敵にするようなことはない。ライトを上げたときのファニーな顔つきは、さらにこの傾向を加速させる。これだけなら、スポーツカーとしてまったくの魅力ナシなのだが、Roadsterの非力さにはウラがある。

 それは、モダンカーにしては極めつけのライトウェイトと、秀逸なディメンション、重量バランスを兼ね備えているという点だ。軽さは非力さを補い、優秀なディメンションと重量バランスは運動性能を向上させる。つまり、Roadsterは非力ではあるが、遅くはないのである。絶対的な動力性能はまったくお話にならないが、ツイスティロードなら優れたトータルバランスでハイパワー車を追っかけ回すのもあながち夢物語ではない。そして重要な点は、相手に一泡吹かせるためには、ドライバーにはそれなりのウデが要求されるということだ。

 モダンハイパワーカーの多くは、誰がどんな乗り方もしてもそれなりに速く走れる。極端なことを言えば、ウデに覚えのあるドライバーでもハイヒールを履いたお嬢さんでも、似たようなペースで走り抜けることが出来る。これが面白いわけがない。誰にでも出来ることを成しても、人は何も感じはしない。
 モダンハイパワーカーでも追い込んでいけば、ハイヒールのお嬢さんでは到達できない領域があるのは事実だが、その領域はすでにサーキットでしか存分に楽しめない領域だということは、誰もが感じることだと思う。
 翻ってRoadsterは、この「楽しめる領域」が非常に幅広い。言葉を返せば、誰でもが速く走れる車ではない、という点で優れているのだ。

 こういった資質を備えたRoadsterは、屋根を開けてのんびり風を感じながら走ることは誰にでも与えてくれる。が、ワインディングロードをハイペースで駆け抜けるには、ウデを磨かないと与えてくれない。これがRoadsterのひとつの楽しさなのだ。今日よりは明日、明日よりは来週、走り込めば込むほど、ドライバーはRoadsterの声が聞こえてくるようになる。「速く走りたければこうしろ」Roadsterは囁きかけてくる。この小さな囁きを聞き取れるドライバーのみが、Roadster本来の速さを引き出すことが出来る。ねじ伏せては引き出せない速さ……これがRoadsterの大きな魅力の一つだ。

 テールハッピーで自在に振り回せる楽しい車、という評価は初代Roadsterが登場したとき盛んに言われたことだが、これはRoadster本来の楽しさのとば口に立ったに過ぎない。自在に振り回せるのは楽しいが、決して速くはない。探求心旺盛なドライバーなら、すぐに気が付く。唐突な車の動きを押さえ、四輪のグリップを限界まで引き出すことでリズミカルにコーナーを駆け抜ける……テールハッピーな先にあるドライビングの楽しさを見いだすRoadsterドライバーは数多い。
  ちょこっと乗っただけでその全貌を現すほど、Roadsterの魅力は底が浅いものでは無いのだ。

roadster そして、Roadsterの魅力はこれだけに留まらない。もうひとつの重要なポイントがある。それは、構造の単純さだ。Roadsterは、モダンカーとしては異例に電子制御が少ない。唯一の電子制御はエンジンマネージメントのみ。そのエンジンマネージメントも、A/Fに点火時期程度しかコントロールしていない。あらゆる情報をサンプリングしフィードバックすることで、極限までエンジンの潜在能力を引き出す、なんてことはどこかに棄ててきている。普通に走ったりテクニックを磨くには、このエンジンでも別段不満はない。とりあえず現代交通事情にマッチするだけのパワーはある。絶対速度の呪縛から解き放たれていることを考えれば、これはこれで卓見である。
 そして、ユーザーが手を入れることを考えると、これは俄然魅力が増す。あまり本質的な魅力とは言い難いが、それでもこれだけアフターパーツ(社外部品)が溢れかえっているのは、このプリミティブさがあればこそだ。なにをどう弄っても効果が感じられる車なんて、そうあるものではない。
 また、このプリミティブさ故、寿命が異様に長いというメリットもある。最近の車は電子制御の塊で、新車のうちは良いものの年月が経つとあちらこちらに不具合が出始め、その修復には時間と金が掛かるものだ。しかし、Roadsterの場合機構が単純なので、少々調子を崩しても、その修復は比較的安価に済む。自分で弄れるユーザーなら、長い間基本構造を変えていない上、各種コンポーネントも量産車の流用が多いため、中古パーツが豊富という利点もある。楽しい上に維持費が安く、弄る楽しみまで与えてくれる車が他にあるだろうか? 営業車両を除き、これほど平均的な走行距離が伸びている量産車は他に無いはずだ。走行距離が10万キロを超え、現役の個体も珍しくない。

 

 もちろんRoadsterの魅力は、こういったメカニカルな点だけに留まらない。もうひとつの魅力はスタイリングだ。Roadster開発ストーリーをご覧になれば解ると思うが、Roadsterのイメージデザイン画はあまり美しくはない。量産を最初から念頭に置いたような、直線基調とは言わないまでも、抑揚のないサイドラインが興醒めなデザインで終わっている。通常は何の制約もないイメージデザインが突出し、出来上がった車はさまざまな制約からデザイナーが意図しない形に落ち着いてしまうのが普通だ。ところが、Roadsterはデザイン画より実際の車の方が美しい。張りのある曲面で構成され、フロントからリアへと破綻無くたおやかに流れるデザイン。押しが強いわけでも、さりとて流されているわけでもなく静かな自己主張が感じられる絶妙のサイドライン。そしてフェイスは能面を思い起こさせ、見る者の感情によって変化する微妙な造形(ライトをポップアップするとウーパールーパー、というのはここでは捨て置く)。全体的に貫き通された日本的な情緒が香り立つよう感じるのは私だけだろうか? 大げさに言えば、神社仏閣様式ではない日本の美を初めて結実させた車がRoadsterではないか、とまで感じている。
 面白いのは、これが日本ではなくMazda North Americaという海外拠点でデザインされたという点だ。日本の美しさを外から眺めることで初めて気が付くデザイン……なのかもしれない。この微妙なデザインを完成させたスタッフには、心から敬意を表する。CADデザインだけでは絶対に産み出すことが出来なかったであろう微妙な造形。さらにこのデザインを工業製品として結実させたその手腕は称賛に値する。走り終え、ガレージに車を入れて降り立つとき、そのスタイリングに未だに見惚れるのは私だけではないはずだ……

 

 芳醇なRoadsterの世界をぜひ体験してみてください。誰にでもマッチする車ではありませんが、マッチする方には大きな悦びを提供してくれるはずです。経験豊かなドライバーから若葉マークのドライバーまで、Roadsterはドライバーなりの楽しみを与えてくれます。安楽な車ではありませんが、安楽を捨て去ることで得られるものは決して小さくないことがご理解頂けるはずです。

2001/9/6 S.N